第二章:ステップ「子育て住まい」


2024年9月(篤男40歳)

本格的に始動する前に下調べをした。このマンションの査定額は2900万円だった。新築が築10年になったのと違って、築40年が築50年になっても大きく価格が下がらないことに驚いた。また、代官山の人気は衰えることはなく、むしろ人気が増しているので、そのお陰のようだ。同じ都内でもエリアによって価格が下がっているようなので、本当に好立地を選んでおいて良かった。また、貸した場合の家賃も調べた。築年数は経ってはいるが10年前にリノベーションをしてあるので16万円前後と言われた。売却査定もそうだが、床にアンティークな無垢フローリングを貼っていたので、時間の経過がむしろ味になり高査定につながった。選ぶ素材の大切さを知った。

次に同じ代官山のひと回り大きなマンションを調べた。70㎡の築40年超、リフォーム前で4500万円位。しかも物件数は非常に少なく、売りに出てもすぐに決まってしまうようだ。また、少し離れた中古一戸建の相場も調べた。マンションと違って管理費が無い分、戸建の方が少し予算を高めに設定できる。マンションが4500万円なら戸建は4800万円という感じだ。4800万円だと都内は厳しいので、横浜までエリアを広げて調べてみた。

これからの生活を春美と話し合った。一番重視するのは幸男のこと。幸男がのびのびと育ち、他人の痛みがわかる優しい人間になって欲しいというのが二人の共通の考えだった。このマンションでは、自転車を乗り回して探検に行き、近くの公園で友達と遊んで泥んこになって帰ってくるというイメージがわかなかった。泥んこで歩いていたらマンションの住人に怒られそう・・・。また、マンション内にご近所付き合いは無く、挨拶程度の関係だった。優しい子に育てるには、お年寄りとの接点もあった方が良いと思った。そう考えると、少し離れた住宅地で、自分達と同世代からお年寄りまで住んでいる、そういう場所に魅力を感じた。

しかし、通勤は大変になるし、これまでの都会生活を捨てるのには勇気がいった。定年まであと25年ほど。篤男はずっと通勤が大変なのは嫌だった。春美はいったん仕事を離れる気持ちで固まっていた。趣味のお茶やヨガ教室に行きたかった。そして、幸男と一緒に宿題をやったり、本を読んだりすることに憧れていた。とは言えずっと専業主婦でいるのもどうかという気持ちもあり、いずれは趣味の延長線で仕事ができるのがベストであると思っていた。

2024年11月(篤男41歳)

何となく方向性が見えてきた時、インターネットでたまたま目にした。横浜に小中一貫の公立学校があり、評判がイイそうだ。昭和50年代に分譲された住宅地の中にあり、駅からは徒歩で20分、もしくはバスで5分だった。売り物件があるか調べると、敷地面積165㎡(50坪)建物120㎡(36.3坪)の4LDK、築22年の木造2階建住宅があった。駐車場が1台あり、庭は広くはないがバーベキューができるくらいはあった。今の倍以上の広さになり、価格は3800万円。ほぼ土地価格のようだ。

リノベリアンでお世話になった㈱しあわせな家の津川さんに連絡をした。そしてとりあえず一緒に見に行くことにした。建物は2000年の建築基準法改正後の建築で、外壁塗装も2回してあり、構造体の状態は良さそうだった。さすがに水周りは当時のままだったので、このままでは抵抗があった。通勤は1時間15分位になるので、正直かなりしんどそう。雨の日はバスが混むそうだ。

評判のイイ学校の前を通った。見た目は普通の学校であったが、教育熱心な人が多く移り住んできているという話が聞こえてきた。また、近くの老人施設との交流や幼稚園との交流もあるそうだ。さらに、近所の自治会館では様々な教室が開かれているそうだ。春美の希望であるお茶やヨガもその中にあった。人間味に溢れるあたたかい街だと感じた。小高い丘の上にあるこの住宅地は、水害など災害の心配は少なそうだ。家と家の間隔も3mほどあり、もらい火の心配も少ないと感じた。

春美は気に入ったようだ。でも篤男はどうにも決断できないでいた。そんな時、津川さんの一言が篤男の胸に突き刺さった。「幸男君が大人になるまでの約15年間だけ住む家として考えてみたら良いのでは?」気持ちがスッキリした。15年間と期限が決まっているなら我慢できる。自分が一日1時間我慢すればイイのだ。ここなら春美も幸男もハッピーな暮らしが送れそうだ。「そうだ15年間住む家にしよう!」後から聞いた話だが、㈱しあわせな家では「子育て住まい 100 万円の家 」というサービスを提供しているそうだ。こういう考え方は今までに無く斬新だと思った。

15年という時間が決まると、夫婦の意見がおもしろいように一致した。とりわけリフォーム範囲については、水周りはすべて交換するが、内装は最低限にして、壁は自分達で塗るということですんなり決まった。これが15年という期限がなければ、お互いの意見は一致しなかったように思う。床はどうする?サッシは?断熱は?・・・。リフォーム費用の見積りは500万円だった。

2度目のマイホーム購入の資金計画はこうなった。物件3800万円、諸費用250万円、リフォーム500万円の計4550万円。頭金はこの1年で貯めた250万円。残り4300万円は住宅ローンを組むことにした。代官山のマンションは、手放すのはもったいないし、15年後に戻り住む可能性があるので、売らずに貸すことにした。今回の住宅ローンは全期間固定金利のフラット35と銀行の20年固定金利とを比較した。いよいよ景気が上向きなので、変動金利はリスクがあると思ったからだ。どちらも少し前からリフォーム費用も融資対象になったのは有り難いことだった。金利はどちらも3.5%と同じだった。代官山のマンションを買った時の固定金利は2%未満だったので随分上がったものだ。銀行ローンは保証料込みの金利だったので、迷わず銀行ローンを選択した。なぜなら、フラット35は生命保険費用が別払いで、初年度は10万円以上かかるからだ。

35年ローンで月の返済は177,715円。家賃収入が16万円あるが、そこから管理費、修繕積立金が3万円引かれるので残りは13万円。それに固定資産税と設備の故障などに備えるお金として月2万円を蓄えることにした。よって、177,715円-11万円=67,715円/月となり、非常に楽な返済になった。
篤男は41歳になり、課長になっていた。年収は800万円だった。これなら幸男の塾や習い事にお金がかかっても、年間100万円以上の繰上返済ができると思った。駅から遠かったので小さな中古車を買った。雨の日は春美に駅まで送ってもらおうという魂胆があった。

2025年3月(篤男41歳)

新居に引っ越した。代官山のマンションはすぐに借り手が決まった。立地の良さと室内のカッコ良さが要因だった。本当に良かった。大人になって始めて暮らす一戸建生活。それは春美も同じだった。最初の数日は何だか防犯が気になり、何度も戸締りの確認をした。しかし慣れてくると、何とも言えない開放感がそこにあった。マンション生活では当たり前にあった「音」がここには無かった。自分が発する生活音も気にしなくてイイ。周りからの生活音も無い。夜、住宅地は静まりかえり、虫の声が聞こえた。「私達は気付かないところで我慢をしていたんだね。幸男にもそうさせていたのかと思うとこっちに越してきて本当に良かったね」春美とそう話をした。

10年ぶりの通勤ラッシュ生活が始まった。1時間15分はとても長かったので、この時間を何か有効に使わなければと思った。将来は海外生活を!なんて夢もあったのでスピードラーニングを始めた。往復2時間聞き続けると、さすがに頭に入った。通勤の苦痛が少しやわらいだ。運動不足だったので、気持ちの良い日は駅まで20分歩いた。ジムに通わずに、少しダイエットになった。

2025年4月(篤男41歳)

幸男が小学校に入学した。歩いて5分程のところに小学校と中学校が隣り合わせにあった。各学年4クラスあり、ちょうど良い規模だと思った。通学は1ヶ所だけ信号を渡るところがあるが、それ以外は安全な道だった。信号にはボランティアのおじちゃんが黄色い旗を持って立ってくれていた。自分の孫をみるようなあたたかい目で子供に接してくれていて嬉しかった。

車を買ったので、休日は買い物ついでにホームセンターに行くようになった。そこで色々なDIYグッズを買った。最初に買ったのはウッドデッキセット。庭にわりと大きなウッドデッキを造った。3人で力を合わせると、案外簡単にできた。庭でバーベキューをするのが夢だったので、それが叶った。夏にはウッドデッキにプールを出した。幸男はとても喜んだ。春美と幸男は庭にミニトマトとシシトウを植えた。シシトウが出来すぎて、毎晩の食事に出てきた。中にはとても辛いものがあり篤男は嫌だった。篤男と幸男は洗車をした。物を大切にすることを教えたかった。気付けば夫婦喧嘩が減ったような気がした。

2028年4月(篤男44歳)

ここに越してきて3年が経った。思ったよりも多い、年間150万円も繰上返済ができた。特に倹約をしたわけではないが、住宅ローン減税で所得税・住民税の還付があったことと、物価が安かったことが要因だった。代官山に比べると食材などが安く、有難い誤算だった。津川さんからの「住宅ローン減税は年末の残高を元に計算するから、繰上返済は1月にしてくださいね」というアドバイスを忠実に守った。

ふと、あのタイミングで代官山のマンションを売ったとしたら、どうなっていたのかシミュレーションしたくなった。
売却価格2900万円―経費100万円=手残り2800万円
購入総額4550万円-2800万円-自己資金250万円=住宅ローン1500万円
1500万円のローンなら変動金利で借りたであろうから、金利1.5%。35年ローンだと月々45,928円、20年ローンだと月々72,382円、15年ローンだと月々93,111円。35年ローン同士の比較で実質月約2万円の差。今の段階ではきちんとした判断はできないが、代官山が長期間空室にならなければ、賃貸に出したことは正解だと思った。

幸男は4年生になった。少年野球とそろばんに通っている。友達もたくさんできて、本当に楽しそうだ。春美は念願が叶い、お茶とヨガに通っている。そこでできた友人に誘われて、週に2回パートを始めた。午前中の3時間ほど働いて、月に3万円ほどの収入になった。洋服や化粧品など、有難いお小遣いになった。

代官山のマンションの住人から連絡があった。お湯が出なくなったそうだ。すぐに津川さんに連絡をすると、給湯器が故障しており、交換する費用が20万円かかることがわかった。気付けばリノベーションをして13年以上が経つので仕方ないと思った。この3年間、毎月2万円を積み立ててきたのでその中から支払った。ついでに他の水周りの調子が悪くなっていないか、津川さんがチェックをしてくれていた。問題がないことが分かり、住人の方はとても喜んでくれたそうだ。私もほっとした。

2034年4月(篤男50歳)

幸男が隣駅にある公立高校に進学した。小中の9年間は良い仲間に恵まれて本当に充実している様子だった。親バカだが、とても優しい子に育ってくれたと思っている。ここに越してきて本当に良かった。春美のお茶は先生とウマが合ったようで本格化し、自分も先生を目指し、活き活きしていた。これもこの場所に越してきたお陰だ。

2035年2月(篤男51歳)

代官山のマンション住人から連絡があり、3月末で退去したいとのことだった。なんと10年も住んでくれたのだ。心から「ありがとうございました」と伝えた。その半面、部屋の中は一体どうなっているのか?不安もあった。確認に行くと、壁に汚れや傷はあったが、大きな問題はなかった。漆喰の壁を一部塗り替えてクリーニングをするのに40万円かかった。この程度の汚れの場合、借り手から預かった敷金は全額返金なので、この費用はすべてこちら負担だ。月2万円の積み立てをしておいて本当に良かった。空室は2カ月続いたが、3ヶ月目に新しい借り手がみつかった。家賃を下げずに済んだのはラッキーだった。これも代官山の力だ。

2036年3月(篤男52歳)

ここに越してきて12年が経った。このタイミングで外壁と屋根の塗装をした。約200万円かかった。購入の際、㈱しあわせな家から「育イエ」という住まいの年表を渡されていた。そこには、10年後にはその位かかることが書かれていた。お陰で備えることができた。幸男は何とか都内の私立大学に合格することができた。浪人にならなかったので、外壁塗装をしたというのが本音だ。
幸男の生活が変わった。これまでは部活に明け暮れていたこともあり、常にこの住まいから半径2~3km以内のどこかに居た。ところが、都内に通学し、都内で遊び、都内でバイトをし、この住まいには寝に帰って来るという感じだった。篤男と幸男の頭の中には引越しという文字があった。ところが、春美はここのコミュニティがとても気に入っていた。お茶の先生や友達と離れることは考えられないようだった。想定外の難しい問題だと思った。

2038年4月(篤男54歳)

幸男は大学3年生になった。この住まいに越してきて14年。約束の15年まであと1年だ。篤男はもう一度都内に戻りたいと強く思っていた。それは、通勤のことと、飲んでも歩いて帰れる生活に戻りたかったからだ。しかし、春美の気持ちは変わっていなかった。「この1年で何とか春美を説得しなきゃ。」篤男は作戦を練っていた。

そんな時、篤男の両親が亡くなった。最後まで金沢に居たいと言っていたので、結局一緒に住むことはなかった。「これで良かったのか。」自問自答した。年に1度の帰省以外、何の親孝行もできなかった。長男として、強引にでも呼び寄せた方が良かったのか?
これを機に篤男の考えは変わった。残り10年の会社勤めのことばかり意識していたが、その先のことこそ考えなければいけない。次の住まいは人生の花道、終の棲家としよう。自分と春美の2人がどんな最後を望んでいるのか、しっかりと相談して決めよう。